枯葉の肖像#1

枯葉の肖像を撮ってみようと思った。朽ちていく前の姿を。木の葉というものは、枝についてしなやかに揺れているときは、どれも似たようなものだが、枯れ落ちて地上に横たわってからは、それぞれにねじれ、ちぎれてやがて消えていく。その中に時として凛とした姿を見ることがあるのだが、私だけだろうか。もとより葉っぱに矜持などあるはずがないが、ともかく「わたしを撮れ」と言われたような気がするのだ。そんな枯葉を拾ってきてカメラの前に立って?もらった。その内の一枚。

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蒲原平野

奄美の旅から帰り、また真冬の世界へともどった。雪はかなり減ってはいたが、日本海からの烈風はあいかわらずだった。カメラのレンズをかばいながら、奄美では見ることのなかった凍てついた水田の平野を見ていた。そして迎春のよろこびというものは確かにここにあるのだと感じた。

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田中一村

奄美大島旅行の大きな目的の一つは、田中一村の作品を見るためだった。若くして南画の天才として嘱望されながら、すべてを捨ててここに移り住み、奄美の自然を描きながら没した画家だ。彼の渾身の遺作を田中一村記念美術館に見た。画集では得られない異質のすばらしさだった。その足で一村の終焉の家をおとずれた。当時からあばら屋に近かったというその家はあまりにも粗末で、これが1977年(昭和52年)まで存命した画家の家とは信じられなかった。生涯を懸けるという意味が少しわかったような気がした。

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奄美の夕景

旅の最終日、夕方の大浜海岸にいた。天候のせいもあり意外と地味に陽は沈んだ。夕焼けはほとんどなかった。東シナ海を遥か沖縄へとつづく琉球弧の島々を思った。浜一面に撒かれたような珊瑚のかけらを拾って帰った。

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奄美の光

二月といっても奄美はさすがに南国。曇り日でも大地に降る光の量は多かった。まるで巨大なデフューズボックスの中にいるようだ。マングローブパーク近くの公園での一枚。それにしても主題の無い写真だ。

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奄美の森

今年の二月初めて奄美大島に行った。奄美は祖父の故郷。あいにくの小雨と寒気で南国らしさは半減。それでも気温16度、大雪の中から出かけた身には十分暖かい。山の展望台から奄美の森を見る。亜熱帯の照葉樹林に埋まる山体は日本の原風景であろう。この光景を胸に秘めて、祖父は奄美を出たのだ。

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冬の終わりとブログの初めに

まだ終わってはいないが厳しい冬だった。けれども子供のころの冬はこんなものではなかった。屋根の雪を降ろす父を何度見たことだろう。それでも雪は、子供たちにたくさんの遊びを与えてくれた。子供であった私にとって、冬はまさに一夜にして出現するwonder-landだった。

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